音楽の楽しみ1
母がおもちゃの鉄琴を与えてくれたので、知っている歌をなぞって飽きもせずリンリン鳴らしていた。家庭はかなり貧しくて音楽にも特に縁などなく、私の音楽好きの原点はどう考えてもあの鉄琴であろうと思う。
小学校に入って、お友だちのようにピアノをねだったが、当時も高価で、もちろん即、却下。
「じゃ、ヴァイオリンでいいもん!」
ヴァイオリンに失礼な言いぐさであった。 音をちゃんと聴いたこともないのに、なぜそう言ったのかわからない。きっと、ピアノはダメだというのに抗って思いついただけ。きっかけなどそんなものである。しかし母は奔走し先生を見つけてきた。
先生は五千円のヴァイオリンを用意してくれ、お月謝も他には内緒で安くしてくださった。自分が選んだことなので毎日おけいこした。終わらないと遊びに出られない。誘いに来た友だちは、音楽にならないヘンチクリンな音を一時間聞かされながらも、待ってくれたものだ。
経済的に進学は無理で音楽大学を諦め、その時きっぱりヴァイオリンを捨てた。苦しかった。疎遠になったまま、温かいおじいちゃまのようだった先生も亡くなられた。
いま、レッスンを再開して1年と半。この楽器を弾いていることが嬉しくてたまらない。練習は深夜。可能な限り何時間でも弾いていられる。むかし先生がペンで丁寧に書いてくれた美しい楽譜が、茶色く色褪せてここにある。いつも励まし期待してくれた先生に、いまは夢で会う。
昔どおりの技術が戻ることは、もうないと思う。しかし、巧拙とは別の次元で音楽がもたらしてくれる喜びを最大に享受しているような気がする。 いつか何もかもに心からありがとうと言いたくなる、そんな記憶と経験を音楽は与えてくれる。
佐山さつき