子孝行

 父が逝った。まったく突然に。 先週、朝はいつも通り「おう、行ってらっしゃい!」の声を聞いた日に、だ。初七日までは一瞬で過ぎた。

 私が二十歳のころ、よわい六十に近くなってやってきた義理の父なので、私と父は家族としては淡々とした間柄であった。親だから無条件に愛おしく感 じるとか尊敬するといった気持ちは、正直言ってあまりなかったと思う。 むしろ、おとな対おとなという、わりあい厳しい目で父を見ていたのではなかったろうか。

 その日父は、夕飯を終え、毎日同じ、大好きな風呂に入って身体を洗い、ひげを剃り湯船につかって、ふうーっと一息ついたような状況で亡くなった。表情は柔和で、口もとが微笑んでいる。

 父を知っている誰もが、眠っているとしか見えないと言った。その表情は、葬儀の最後の最後まで変わらなかった。

 臨終には、これまでの生命のありようが凝縮されるという。権威、地位、財産といったものを、生命の旅に持って行けるわけがない。もっとも、生前、それらのどれも持ってはいない父である。

 その臨終の姿に、私の中の何かが大きく変わった。湧き上がってきたのは、畏敬の思いであった。こんな臨終を迎えられる父への、初めて、深い尊敬の気持ちであった。

 その何日か前、私は、美味しい銘柄の蕎麦が珍しく店頭にあるのを見つけ、買ってあった。父の一番の好物が蕎麦だから。

 最後の昼食は「うまいなあ」と食べてくれたその蕎麦であった。だから、娘の私にも悔いがない。

 残された者にも憂いなきよう、すべてを整えて逝くだなんて、なんと子孝行な親であろうか。

佐山さつき