わたしは円楽

 中学三年生のとき。ある女子生徒とふたり、何やら数日続く生徒会の仕事を終え、校舎前の坂道を下っていった。おしゃべりは途切れがちで、彼女が突然に言う。

 「さつきちゃんは円楽に似てる。」

 笑点の、むかしの円楽。どうしてと聞いても言葉を濁されて別れ、私はすぐ忘れたのだが、次の日の帰り道またふたりになり、彼女は唐突に、

 「わたし、円楽って大嫌い。」

 がーん。とっさのことに何も言えず、ヘヘヘの愛想笑いで動揺を隠しバイバイしたのだったが、今でもそのシーンは忘れない。自分を象徴する強烈な思い出だからだ。その子は、私に反撃などされまいと確信していたのである。

 彼女は大人びて、友人は作らないが教師のウケは良かった。だいいち、そういう意地悪のしかたを思いつくというのがすごいではないか。子供たちがみな素朴でおくてな時代である。輪をかけて私は愚鈍だった。

 先日、A組に入るかB組に入るかを選ぶ場面があった。リーダーにどちらに行きたいか聞かれ、自分はどちらでもちっともかまわなかったので人数の足りない方に入りますと答えると、

 「どちらも足りてるんだけど。」

 がーん。気の利いた突っ込みもできず、ヘヘヘとごまかし・・・。やはり私は円楽だった。

 その時その人に鋭い悪意はない。きっととても賢い人なのだ。賢い人々は相手が鈍なのを無意識にも見抜き、それを試したり、つい楽しんだりしてしまうように見える。こちらはしばらく後になってから悔しい。

 友人にこぼすと、おまえはチョー鈍だ。死んだふりなのか本当に死んだのか、突っついてみたくなるタイプでもあるぞと大ウケである。けっ。

佐山さつき