自分の不思議

 私は「鈍」だと前回書いた。実はさらに性格的な特徴がもうひとつある。それは自分にはまったくわからない側面で、どうも私は二重人格らしいのだ。 病例として実際にあるビリー・ミリガンのような、ひとりの中に複数の人がいるという多重人格(それならばそれで不思議な人生をいくのだろう)ではなく、い わゆる、あの人って二重人格なのよねえ、なんて言われてしまえばガックリに違いない、人格的な変化のことだ。次のような状況のときにだけ、それは起こる。

 仕事で苦労を共にするとお客さまとも気心が知れる。仕事以外でも声をかけ合い、ゴルフをしようとかキャンプに行こうとか、親しく家族ぐるみの遊び になることもある。そういう間柄なら、仕事の場所と時をはずれれば互いに口調もプライベートな気安さだが、そんななか、何かの拍子にどちらかが仕事の用件 を思い出した。その、お客さまと自分という立場の話題となった一瞬に、私が変わるらしいのである。なんと、口調だけでなく顔つきも変わるというのだ。

 それまで脳天気に「そりゃそうでしょ、まったくもう!」という調子だったのが、突如きりっとした顔で背筋を伸ばし「それはこうした方がよろしいか と。」「はい、承知しました。」となり、そうして仕事の話が過ぎてしまえば何食わぬ顔で再び、のほほん口調と緩んだ顔に戻るそうだ。

 私が変わる、そのスイッチを面白がる相手に教えられても、自分は親しい一連の空気にあるままの状態で話したつもりで、その間くっきりとビジネス口調だったなどという記憶は一切、ない。

 その後、何度指摘されても未だ、自分が変化する瞬間を捉えることができない。自分のことは自分がすべて知っている、わけではないのである。

佐山さつき