桜梅桃李

 「桜梅桃李」という言葉が好きで、もし求められたらこれを紹介しようと思うのに、私に座右の銘を尋ねる人などないので、ここで書いちゃおうっと。

 これは、桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、そし李(すもも)には李なりの、美しさや個性や使命があるのだという意味です。

 自分の周りにすてきな女性がいっぱいいて、ああいう人になりたかったな、私もああいうお家に育つとああいうおとなになれたのかな、あの人のような 知的な顔に生まれたかったな、などと羨ましい思いに捕らわれることの多かった私など、若いうちにこの言葉を知らなかったら、もっと浅ましく人を妬んだりす る人間になっていたかもしれないと、つくづく思うのでありますよ。

 さて、周囲に男女を問わずいろいろな分野で素晴らしい能力を持った方が多いので、私は自分が情けなく、欠点とことごとく向かい合い、深く反省する 機会も多いのですが、さんざん悩んだ後に振り返るのは、自分は李なのに、勘違いして桜になろうとしてはいないかということです。おっとっと、間違えてはい けない。桜と李では育つ環境も咲かせる花も違う。李として実をつけられるよう生きなくてはと、改めて思い直すのです。

 桜梅桃李・・・。私は、すもも。

 ゆのみの執筆陣に加えていただき一年、拙い文章におつき合いいただき、皆さまには心から感謝申し上げます。ごきげんよう!

佐山さつき